『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット』

 

働きたくないイタチと言葉がわかるロボット  人工知能から考える「人と言葉」

働きたくないイタチと言葉がわかるロボット 人工知能から考える「人と言葉」

 

 

ここ数年、ディープラーニングなどの機械学習手法の進歩によって、自動翻訳や自然言語処理分野が目覚ましい速度で進歩しています。iPhoneのSiriなど、ある程度実用的なレベルで言語を理解するアプリケーションも登場し始めています。

報道を見ていると、「もうすぐにでも言語を理解するAIができる」、「これまで解けなかった困難な問題を解決する目処が付いた」という楽観論もあり、一方で「AIには永遠に言語を理解することはできない」という主張もされており、一体何が正しいのかはすぐには分かりません。

実はこれは、「言語を理解する」ためにさまざまな機能が必要であることが原因です。

 

この本の著者は、言語学自然言語処理を専門とする研究者です。主人公である「イタチ」たちが言葉を理解するロボットを作ろうとさまざまな方法を試行錯誤するという物語を通して、一体「言葉を理解する」とはどういう意味があるのかを描き出しています。

第1 章 言葉が聞き取れること
第2 章 おしゃべりができること
第3 章 質問に正しく答えること
第4 章 言葉と外の世界を関係づけられること
第5 章 文と文との論理的な関係が分かること(その一)
第6 章 文と文との論理的な関係が分かること(その二)
第7 章 単語の意味についての知識を持っていること
第8 章 話し手の意図を推測すること

ここで引用したのは本書の各章のタイトルですが、「言葉を理解する」ためには、これだけのことが (最低限) 必要であることが分かります。

 

特にこの本を否定するつもりは無いのですが、実際のところ、自然言語処理言語学に少し興味があったり、大学で単位を取った人であれば、本書に書かれていることは既に知っていることも多いと思います。しかし、本書の優れたポイントは、イタチたちの試行錯誤を通して、現状の自然言語処理では不可能なことにフォーカスが当てられている点です。

たとえば、4章ではディープラーニングを使って、言葉と画像が対応づけられるようになったことが取り上げられています。けれども、ディープラーニングは、「犬」「猫」「リンゴ」のように具体的な画像で表せる言葉を扱うことは得意ですが、「愛」「権利」「無」のような抽象的な語、「恋人」「親」「社長」、「商品」「ゴミ」といった人や物の役割を表す言葉、動作や論理を表す語については、(まだ) うまく扱えていないようです。(なんとなくこの辺り、中世哲学における普遍論争を連想します。) ディープラーニングが画像や動画を基礎とする限りは、この問題の本質的な解決は難しそうです。

それ以外にも、文と文の間の論理的な関係を推論すること、常識的な知識を持つこと、それらを組み合わせて使うことが非常に難しいことが、コミカルに描写されています。

始めに意図ありき

なぜ、AIは将棋や囲碁で人間を負かすことができるのに、言語を理解するという簡単そうなことができないのでしょうか。ややネタバレになりますが、私の関心事でもありますので本書の結論を引用します。

…私たちが「他人の知識や思考や感情の状態を推測する能力を持っていること」です。つまり他人も自分と同じように心を持っていることを認識し、自分の立場からだけでなく、他人の立場からも考えることができるということです。これは言うまでもなく、機械にとって難しい「意図の理解」が、私たちにある程度こなせる理由の大きな部分を占めています。

おそらく、人間が言葉を学び、話し始めるよりも先に、エピソード記憶や手続き記憶を備えていたのでしょうし、食料を探し、外敵から逃れ、群れの中で他者と協力し、異性を探すという意図を備えていたはずです。加えて、他人がそのような意図を持っていることを理解して推測することができていたはずです。

 

少し前、私がトルコを旅行した際に、印象深く覚えていることがあります。私がある田舎町で道に迷い、地元の人に道を聞いたのですが、私のトルコ語力では道を聞くことはできても相手が言っていることが分かりませんでした。そこで私が「lütfen(お願いします)」とだけ言って持っていたノートとペンを渡したところ、そのトルコ人が地図を描いて渡してくれたのです。更に私が地図を見ても道が分からず躊躇していると、彼が手を引っぱって目的地まで連れていってくれました。(トルコ人は概してめっちゃ親切なのだ)

ここで私が発した言葉は「お願いします」という言葉だけであり、言葉の意味からだけでは私が何を欲しているのかは理解できません。けれども、「ノートとペンを渡す」という行為によって、「言葉が聞きとれないので地図を描いてほしい」という意図を完全に伝えることができました。

 

このエピソードから分かることは、言語の意味は言語の中だけに閉じていない、ということです。言語の意味理解は、テキストを見ているだけでは不可能であり、人間の持つ意図の推測をするモデルが存在しなければ、言語の本質的な意味理解はできないと考えています。それには、表面的な機械学習手法の高度化だけでは不十分で、より深い人間理解が必要になるはずです。

おわりに

本書の小説部分は動物たちのコミカルな小説になっていてサクっと読めますし、随所に仕込まれた脱力感を誘う小ネタ的なキャラクターも面白く(カメレオン村での医者である「青緑赤ひげ先生」やらイタチ村のローカルタレント「ヨカバッテン板橋」などなど)、版画風の挿絵も可愛らしいです。とは言え簡単で軽いだけの小説ではなく、研究者らしく註と参考文献も充実しており、近年の自然言語処理研究へのアクセスという点でも優れています。

自然言語処理に興味のある人はもちろん、自然言語処理の知識は無いけど言語に関わる人、語学教師や国語の先生などに読んでほしいと思います。