『ちいさい言語学者の冒険』

 

ちいさい言語学者の冒険――子どもに学ぶことばの秘密 (岩波科学ライブラリー)

ちいさい言語学者の冒険――子どもに学ぶことばの秘密 (岩波科学ライブラリー)

 

 

この本は、言語学者である著者が、自身の息子がことばを身につけていく過程で表われた言い間違いや文法ミスをもとに、言語獲得の過程と理論を解説する本です。

 私たちは、母語である日本語を普通に使いこなしていますが、改めて言語を考えてみると、非常に複雑な構造を持っていることが分かります。大人になってから今自分が話している言語を考えてみても、どうやって言語を学び、獲得したのかはよく思い出せません。しかし、今まさに言語を学んでいる子供の間違いを観察することで、言語獲得の過程、その一部を観察することができます。

 

著者は、子供の言語の間違いが単なるデタラメではなく、首尾一貫して規則的に間違う傾向にあるということを示しています。

たとえば、「死ぬ」という動詞の活用。 多くの子供が、「死む」「死まない」「死めば」と間違った活用を使ってしまうのだそうです。これは、子供が「虫さん死んじゃった」「死んでないよ」などのやりとりを通して「死んだ」という活用形を学び、「飲んだ」→「飲む」、「読んだ」→「読む」などから類推して「死んだ」→「死む」という動詞の原型のルールを類推しているのではないか、と著者は推測しています。

 

ちなみに、動詞の活用に関しては、私の息子による印象深い言い間違いがあります。

 

「パジャマ着てね」(風呂に入った後、フリチンで走り回る息子に対して)

「イヤだ、着らない」(本人は「着ない」のつもり)

 

おそらく、「行く-行ない」、「知る-知ない」の5段活用から類推して、「着ない」という活用形を作り出してしまったのだろう、と考え、言語に対するルールを見出す子供の能力に感心した記憶があります。

 

また、個人的に非常に面白いと感じたのが、日本語の拍(モーラ)の数え方に関する話です。俳句の575のように、日本語の音の長さを数えるとき、大人の日本語話者であれば全員が一致する数え方があります。たとえば、「ん」は日本語では1拍です。しかし、「ん」を独立した単位として扱う言語は、実は少数派なのだそうです。ところが、文字を覚えたばかりの子供が「うんち」の「う」の一文字だけを「うん」と読み、「ん」が重複していると怒るエピソードから、どうやら文字を覚える前の子供は「拍」ではなく「音節」で音の長さを数えているのではないか、という説が提示されています。

 

本書が扱う言語学の分野は、音韻や文法以外にも、言葉の意味や語用論(ある表現を使う意図)にまで広い範囲に及んでいます。内容的には入門手前の概説のレベルで、既知の内容も多かったですが、堅苦しい研究書ではなく、随所に挟まれる子供の言い間違いがいちいち面白く、思わず笑いながら読めてしまいます。

現在言語を習得中の幼児を育てている人、日本語教育に関わる人、twitterで575ツイートがなぜか気になってしまう人などにオススメしたいです。